学外実習に行ってきました!
鳥取県になる近代和風建築の集大成 「石谷家住宅」 です。
こちらは国指定重要文化財かつ国登録記念物(庭園)に指定されている素晴らしい住宅です。
HPをみてみると・・・ http://www.ifs.or.jp/contents/about.html
石谷家は、近世・近代を通じて地域社会の躍進に大きな役割を担ってきました。
古くから屋号を塩屋といい、元禄時代初め(1691年)ごろに鳥取城下から移り住み、本拠を構えました。
大庄屋とは農民側の在方役人で、裕福で人望と教養を備えた人物が選ばれました。
伝三郎は13年間にわたって大庄屋を務めましたが、文化10年(1813)からは初代伝九郎が就任しました。
文政5年(1822)以降は、大庄屋を分家や国米家に譲り、もっぱら地主経営や宿場問屋を営むようになりました。
明治に入り、2代目伝九郎は商業資本家として躍進し、地場産業の振興を図りながら、地域経済を支え、救済事業・学校建設・道路改修など、篤志家として町の進展に尽くしました。
石谷伝四郎(1866~1923)の代には、政治家として明治28年から大正12年までまで国政に携わりました。
衆議院議員、後に貴族院議員に選出されました。
伝四郎が智頭の自邸を大正8年から約10年かけて改築させた大規模な木造家屋が今の「石谷家住宅」です。
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山林経営の中で石谷家は敷地を拡張し、家構えを町屋形式から屋敷形式に変え、山林経営に相応しい家屋敷の構えにしてきました。
敷地は広大で、そこに建つ建物、築かれた庭園は、用いている資材、デザイン、施工技術ともに最高の水準にあり、その完成度はすこぶる高いと評価されています。
みどころはこちら ⇒ http://www.ifs.or.jp/contents/resi.html
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学外実習の様子をお伝えします。
合成すればこんな感じの空間です。「赤松」の丸太を使った大空間の「土間」
学生がそれぞれ興味のあるところをのぞいています。
見上げれば「元口3尺」近い?、「丸太」の小屋組みが・・・
「江戸座敷」… ハート形のフレームが印象的です。
屋根廻りの部材すべてが「丸太」の茶室
イギリス留学経験者の大工「田中力蔵」作の階段。2階はブリッジの廊下になっています。
「作ることは見ること」 とよくいいますね。
学校での学びをこうやって学外実習することでさらに深める。
これがOCTのまなびです。
しかし、立派な建物でしたね。
古き時代を経て今も現存していることがすごいですね。建築ってすばらしい。
次はさらなる学外実習の特集をお伝えしますのでご期待下さい!
◆倉吉の街並み もこちらからご覧ください。 倉吉の街並み.docx
◆投入堂 もこちらからご覧ください。 投入堂 (2).docx